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vol.94 特集:第27回 松下幸之助人生をひらく言葉

「よい発想は歴史を踏まえてこそ生み出せる」

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 ぼくはね、今になってつくづく思うんです。事業を始めてから55年間、毎日日記をつけていたら、たいしたものだったのにとね。だけど、創業の頃には将来どうなるということは何も考えていなかったから日記どころじゃない。ここまでくるんだったら、日記をつけておけばね、立派なひとつの時代史になったはずです。企業精神とはどんなものだったのか。その時々に発想したことを書いてますからね。参考になると思いますけど、惜しいことをしたと思いますよ。

第二次世界大戦以前は

日記というものに興味がなかった松下幸之助でしたが、戦後、生活の波瀾(はらん)があまりにも大きかったためか、日記をつけようとしたことが何度もありました。
 しかし、「日記というものはなかなか続かないものである。私もすでに、書きかけて途中で放り出したことが十回以上もあって、いわゆる三日坊主のノートがだいぶんたまっている」と記しています。
 このように個人の日記を残すことができなかった松下でしたが、記録や製品といった会社の歴史を残すことには熱心でした。それは、よりよい物、よりよい発想を生み出すのも、過去の歴史の上に立ったとき初めて可能になる、と考えていたからです。
  ですから、新入社員にも、「社員としての第一歩は会社の歴史を認識することから始まる」と訴えていました。
 この歴史を大切にするという態度は日本の国に対しても同じことでした。
 昭和四十五年、大阪千里丘陵で開催された万国博覧会の松下館に二つのタイムカプセルが出品されました。これは現代の文化を五千年後の人類に贈ろうというもので、英知を集め、容器の保存方法や収納品の選定を行い、二つのカプセルのなかにはそれぞれに同じ二千九十八点の品物と記録が、当時の最高の保存技術によって収納されたのでした。そのなかには、テープに収録された松下のメッセージも含まれています。
 万博終了後、この二つのカプセルは大阪城公園に埋設されました。そしてそのうちの一つは二十一世紀、二十二世紀という毎世紀の初めに開いて収納物の変化を調べることになり、第一回の開封は、万博開幕から丸三十年経った平成十二年の三月十五日に行われました。
 松下は、「歴史とは他人事ではない、いわば自分の姿である。過去の事象を対象にしているとはいえ、それが今日の自分をつくっている。歴史をどのように受け取り、どう生かすかによって今後の歴史が変わってくる」と言っています。
 さて、自分を振り返ってみるためにも、松下が果たせなかった日記をつけることに今からでも挑戦されてみてはいかがでしょうか。



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▲1970年、大阪で開かれた日本万博博覧会(大阪万博)に、パナソニックは、「松下館」を出展した。 奈良・中宮寺の御堂をモチーフに、天平時代の建築様式を取り入れた建物を建設。約1万本の孟宗竹を巡らせ、後棟にお茶室を設けた。前衛的な建築が多いなかで、日本の美しさにこだわり、万博会期中、約760万人が来館した。

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松下幸之助氏とは、中村社長が尊敬する人物の一人。
パナソニックの創業者である松下幸之助氏が生前に語られたお言葉は英知と洞察にあふれています。
この特集ページでは、毎号ひとつずつ皆様にご紹介いたします。(PHP出版の書籍より)

【松下幸之助】日本の実業家、発明家。
パナソニック(旧社名:松下電器産業、松下電器製作所、松下電気器具製作所)を一代で築き上げた経営者である。異名は経営の神様。自分と同じく丁稚から身を起こした思想家の石田梅岩に倣い、PHP研究所を設立して倫理教育に乗り出す一方、晩年は松下政経塾を立ち上げ政治家の育成にも意を注いだ。

PHP総合研究所 研究顧問 谷口全平
松下電器の創業者である松下幸之助は、資金も学問もなくしかも病弱。
「徒手空拳」ですらなく、マイナスからの出発であった。
にもかかわらず、かにして成功を収めることができたか?
本書は波瀾に満ちた94年生涯で語られた【人生をひら言葉】を軸に、松下幸之助の信条や経営観、人間としての喜びを解説した。「勝てばよし」がまがり通る今日、「なぜ生きるのか」を問う人生の書である。