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vol.95 特集:第28回 松下幸之助人生をひらく言葉
「この会社に入ったのは自分の運命である」
この会社の社員になったということは、自分の意志で決めたんだが、自分はそういう運命に置かれておったんだ、だから、その運命に素直に自分は従って、そして、そこからまたさらに大きな運命を切りひらいてゆく努力をするんだというようにお考え願えれば、皆さんがいろんな困難に直面するといたしましても、基本的にはなんら動揺しないということになろうかと思うんであります。大丈夫の精神はそういうところに、諦観してゆくところに生まれるもんじゃないかという感じがするんであります。 |
松下幸之助は
松下電器の社長、会長時代には、毎年、新入社員に講話をしていました。
そのなかでよく話していたことは、まず会社のよい面を見て、「よい会社に入った」と親にも親戚にも友人にも言って、みんなを安心させてあげようということ。さらには、「会社は公器」の自覚を持とう。無理解な上司につくのも自分を伸ばすチャンスだと考えよう。健康管理も仕事のうち。根気と辛抱が必要だ、等々でした。
冒頭の「この会社に入ったのは運命と考えよう」もよく話していたことの一つです。
昭和十一年、電気科を卒業し、無線関係の会社に入りたく思っていたAさんが担任の先生の勧めで松下電器に入社しました。ところが、配属は希望の無線関係の職場ではなく、電池の工場でした。
希望がかなわず、憤懣やるかたなく思っていたときに、社長の松下との懇談会がありました。
発言を求められたAさんは、素直に、「松下電器はひどい会社と思います。会社を辞めようかと思ったのですが、今から行くところもないので、まだおりますが」と、無線担当の専務が学校に依頼に来られたので、てっきり無線関係の仕事をさせてもらえるものとばかり思っていたことを話したのです。
「ところで、君は今何をしているんや」
「調合場で実習をしています」
そこは体中が真っ黒になるような職場でした。
「それは考えと違ってえらいところに来たな。しかし、松下電器はいい会社やで。君、わしにだまされたと思って十年間辛抱してみい。十年辛抱して、今と同じ感じであったら、わしのところにもう一度来て、わしの頭をポカッと殴って、『幸之助、おまえはおれの青春十年間をムダにしてしまった』と言って辞めたらいいではないか。わしは多分殴られんという自信は持っておるんや」
不満ばかりを抱きつつ仕事をしても身につかない。
やはり、これが運命だ、ここでがんばってみようと心を定めることが大切だということを言いたかったのでしょう。よく考えれば、職場を得るということは、実に不思議な縁なのです。
▲パナソニックの電池工場は現在国内外に存在します。今は真っ黒になることはありません。
▲主力商品のエボルタシリーズ電池。
新作のUSB入出力急速充電器は充電池への急速充電、スマートフォンへの充電機能、LEDライト機能(付属品必要)の1台3役。
停電などのもしもの時は、家中にある単3形乾電池でもスマートフォンへの充電が可能。
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松下幸之助氏とは、中村社長が尊敬する人物の一人。 パナソニックの創業者である松下幸之助氏が生前に語られたお言葉は英知と洞察にあふれています。 この特集ページでは、毎号ひとつずつ皆様にご紹介いたします。(PHP出版の書籍より) 【松下幸之助】日本の実業家、発明家。 パナソニック(旧社名:松下電器産業、松下電器製作所、松下電気器具製作所)を一代で築き上げた経営者である。異名は経営の神様。自分と同じく丁稚から身を起こした思想家の石田梅岩に倣い、PHP研究所を設立して倫理教育に乗り出す一方、晩年は松下政経塾を立ち上げ政治家の育成にも意を注いだ。 PHP総合研究所 研究顧問 谷口全平 松下電器の創業者である松下幸之助は、資金も学問もなくしかも病弱。 「徒手空拳」ですらなく、マイナスからの出発であった。 にもかかわらず、かにして成功を収めることができたか? 本書は波瀾に満ちた94年生涯で語られた【人生をひら言葉】を軸に、松下幸之助の信条や経営観、人間としての喜びを解説した。「勝てばよし」がまがり通る今日、「なぜ生きるのか」を問う人生の書である。 |